こころとからだにいいことふたつ

忘れていく日々の外部記憶

ホットコーヒーの季節

「真夏のピークが去った、天気予報士がテレビで言ってた」

この季節の象徴のような歌詞になったなあ。

志村が死んでもうずいぶんと経ってしまった。

現実味なんてずっと無くて、死んだ、という言葉のリアリティの無さに驚く。

でももう、新しい曲は聞けないし、姿を見ることもできない。

ただただ時が経ち、彼の生きた年数を追い越し、時間が進んでいく。

 

私の悲しみは、私の出来事のことであり、誰かを思ってのことではないのだろうな。

夏の終わりの午後にぼんやりと考える。

 

不妊治療してると、それに合わせてすべての自分の生活が変わっていく。

もちろん、子どもができたらそれに合わせた生活になるんだろうけど、

まだできてないし、その周期に合わせて気分が浮き沈みするのが本当につらい。

ダメだったときとか、自分を全否定された気になる。

そこに至るまでの、お酒を控えたり、カフェインを控えたりとか、

薬を飲んだり、仕事を休んで通院したこととか、

そういう気を使ってる生活がすべて無駄だったと思い知らされるというか。

 

これが体外受精になると、心が持つのかしら、たぶん無理・・・

よくインスタとかでリアルタイムに漫画とかにして、

まとめてる人がいるけど、あれのモチベーションって何なんだろう。

 

子どもを持つということについての解ができるまでは子どもは持たない方が

良いかもと思うこともある。

子どもって自分の夢とか希望とかでは無いし、

他社とのコミュニケーションツールでも無い。

周りの友人たちとの距離ができていくような気がしているけど、

その焦りで、どうこうする訳ではない。

子どもができたらまたみんなに会って話もしやすいかもとか、

兄弟に何言われても気持ちが揺らがないだろうとか、そういうことではない。

自分が納得して、向き合って、この気持ちを消化するべき。

そうじゃないと、子どもに何かを押し付けたり、

子どもで他の人との差を埋めようとしたりしそう。

 

何も悩まず子どもがいる人もいるけど、私は違うという、それだけ。

ただ私の人生においては、こうして考える時間がある方が、

その後の考え、生き方に、きちんと答えを見つけ出せそうだなと思う。

 

自分が自分らしくいられるってそもそも何とか、考えたりするけど、

自分が納得して、自分の幸せを探し出したい。

今は、深く考えることから逃げているような気がするけど、

今の私にできることはそれだけ。

後悔するかもとか、今は思わない。今の私にできるベストはこれだけ。